2015年10月31日

業(カルマ)の話2

行者によっては実はまるで業をなかったかの如く解決して見せる人がいる
病気ならすぐに直る、商売は努力なしに繁盛する、嫌な上司はすぐにいなくなる
それは単に先伸ばしに過ぎないのだか、ほとんど奇跡のように見える
行者は大繁盛して新興宗教の教祖さまだ

これは二つの意味で危険である
一つは、先伸ばしであるから、また、問題は再発するのだ。
病気なら再発、あるいは病気以外のトラブルが発生する

行者を心から信ずる信者はまた、頼り、行者にせっせとお金を貢ぐ
自分で解決したという実感のない信者は、無限にお金を吸い上げられる

ポイントはこの行者は必ずしも悪徳とは限らないことだ
行者は善意で信者を助けひたすら信者を助け続ける

それは結局仏教に繋げることに失敗しているのだ

そしてもう一つ

信者が自分の業に向き合わずに、問題が解決していくということは、実は行者の徳分を消費しているのだ
それは信者からするとさらに悪業を積むことになる

今世がよくても来世はさらにひどいことになるであろう


posted by 竜光 at 11:15 | 仏像

2015年10月26日

業(カルマ)の話

先日、信者さんの奥様が突然心筋梗塞で倒れられた
(以下、信者さんのご承認を得て記述します)

お子さんの体育祭での出来事らしい。

実は奥様は今年、火曜星という星回りでいわゆる厄年であった。
それで今年の二月には星まつりで厄除けの御祈祷を受けていた方である。

私は、御祈祷していたのに関わらず病気が防げなかったかと一瞬たじろいたが、御主人によると御祈祷の験が現れて助かったのだという。

奥様の血管は、かなり時間をかけて詰まっていたらしく、いつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えていたのだという。

発作は突然前触れもなく起こるので、例えば、就寝中とか、昼一人でいるときに発作が起こっていれば助からなかったそうだ。

その意味で体育祭は周りの父兄に医療関係者もおり、AEDも操作され、御主人もそばにおられ、爆発するタイミングとしてはこれ以上ない好条件であったようだ。

これは御祈祷の験の現れ方としてはとても具合のよいものだ。

トラブルは生じるが、軽く済む、というのが実はよいのだ。
トラブル自体がなくなるという形は、実は爆弾を抱えながらそれを先送りすることになる。

今回は奥様の血栓は手術できれいに取り除かれた。

「業」とは、この血栓であると思う。

過去生から積み上げてきたさまざまな業はいつか吹き出る。それは明日かもしれず、遠い来世の事かもしれない。

しかし、必ずそれはいつかは爆発するのだ。

業の無い人、過去いちども罪を犯したことの無い人などいないとすれば、誰であっても、その業が噴出したときは、それを受け止め、対処しなくてはならない。

御祈祷はその噴出してしまった業(不幸)をなかったことにするものではない。それに向き合い、それと戦い、それを乗り越えていくためのお手伝いをすることである。


不幸に直面する覚悟の無い人には御祈祷は効果が出にくい。
病気は否応なく向き合うしかないが、人間関係や経済問題、精神的な悩みなどは、祈祷師に金を払って何とかしてもらおうという態度だけではよくならない。

体の病気であっても薬さえ飲んでいれば治るものでもない。養生をし、家族や医療関係者への感謝の気持ちや、人生の反省がなければ治らない。

この奥様のご主人は大変信心深い方で、上記の理屈は先刻ご承知であるので、奥様の一大事のときでさえ、私にお礼を言ってくださった。

ありがたいことである。


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写真は星まつりで拝んだ妙見様です。

posted by 竜光 at 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | お説教

2015年10月24日

先祖の因縁

信者さんから、お知り合いの方のことでご相談があった

その方は家庭にトラブルを抱えているようだが、ある霊能者に「女性が供養されていない。それが原因である」と告げられたという。調べてみると実際にそのような女性がいたことがわかり、供養したようだ。
さらにその霊能者は「生まれた子はその因縁を引きずっており、養子に出さないと家に災いをなす」と予言していたという。
驚くべきことに、事態はその通りになったようである。

ただ、残念なことにその霊能者の言に従って供養はしたもののトラブルは解決しなかったようだ。

そしてそのお知り合いの方は、様々な霊能者や、祈祷師にアクセスしまくり、ついに私のところにまで連絡をつけようとしているらしい。

幸いなことに、私の信者さんはそのお知り合いに直接私の連絡先を教えるようなことをせず、こういう人がいるのですが、とワンクッションを置いて私にお尋ねしてくださったわけである。

「先祖の因縁」を私は否定しない。私も実際に、過去の苦しい死に方や忘れられた故人のために墓参りや供養をお勧めすることがある。

恨みや怨念は、その人に対する罪悪感や憎しみとして家族に代々受け継がれる。

姑にいじめられた嫁や、母に虐待された子供、離婚され無視され死後まで供養されないような女性など、つらい経験は家族というシステムのバランスを壊し、苦しめた当人がたとえそれを忘れても、その苦しみは突然、何代も離れた子孫に現れることはよくあることだ。

例えば、母親が嫌いで母のことなど思い出したくもない娘が、自分の生んだ子を育てるとき、たとえどんなにその子をかわいがろうとも、その家庭において一切おばあちゃんの話が出ないという事実だけで家庭のバランスは崩れる。

先祖の供養は、まずはその方の悲しみを共有し、許しを請い、慰め、お金と時間をかけて反省を外に表現することである。

まさにそれはトラブル解決の始まりに過ぎない。

先祖の祟りをトラブルの原因とのみとらえ、トラブル解消のために霊能者に金を渡して厄介払いをしたいという心構えでいる限り問題は解決しない。

引き継いでしまった因縁を解消するのはまずは当事者である自分自身であるという覚悟がないと状況は変わらない

拝んでもらって一発解決などということは決して生じない。

しかし霊能者ショッピングを始めてしまった人に、この話はまず通じない

私のところに電話してくる「あちこちの霊能者や祈祷師にお話しをしたのですが駄目だったのです」という人には「一度来院してきちんとお話しを聞かせてください。仏さまに手を合わせてください」と必ず申し上げるが、ほとんどの人はもう連絡してこない。

なかなか難しいものだ。

御祈祷はその人の覚悟をバックアップするものだ。
不思議は起こるけれども、治りたい気持と養生なしには薬は効かないものだ。


posted by 竜光 at 22:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | お説教