2011年06月21日

輪廻について(7)

天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄 の六道のうち、畜生・餓鬼・地獄を三悪道ともうします。

畜生とは動物の世界であります。最近は生まれ変わったら飼い猫になりたいなどという人もいて、また大自然の世界などともうしまして、もしかすると動物の世界のイメージはそれほど悪くないのかもしれません。

しかし、畜生とはまずは弱肉強食の世界であります。いつ食われるかわからない恐怖の世界です。餌が手に入らなければ餓死するのみです。

また牛馬のごとく働くという言葉のあるように、おのれの意志とかかわらず使役される世界でもあります。

畜生の世界とは欲望がむき出しの世界であり、自由意思がなく、もっとも知恵から遠い世界であるといってよいかもしれません。

仕事がなく、意志が通らず、ひたすら低賃金で劣悪な環境で働かされる昨今の一部の労働者は畜生界の存在と似ているのかもしれません。

生きることに精いっぱい、ただ、食べるため、寝るためだけに生きざるを得ない存在は、まことに苦しく哀れな状態でしょう。

一方で、自分はいま、畜生の状態に落ちているのではないのか、他人への施しや愛情などを考える余裕がなくなって、自分の欲望のためだけに、がつがつとしていないか、反省しなくてはなりません。

もしそうなら、三悪道の畜生界に落ちているのかも知れません。

先ほどの飼い猫の話ではありませんが、畜生の世界の中でも、上下があって、ただひたすら食われるだけの弱小の存在から、食う側として君臨するもの。

龍神や麒麟(きりん)などは畜生界の王ともよべる存在です。

法華経のなかに、法華経の功徳で竜女が瞬く間に解脱し成仏する場面がありますが、これは女性+畜生+幼子といった悪条件の存在であっても(もろ女性差別ですが・・)成仏できるほど、法華経の功徳は大きいことを示すエピソードですが、

どんなに力を得ても、たとえ百獣の王であっても、知恵がなく、おのれの欲望の追求のみに生きていればそれは畜生道なのでありましょう。

六道の解説で畜生界の説明はさらっと短く終わることが多いのですが、実はよくその内容を吟味する必要がある世界だと思います。

私たちの生活の中に地獄も餓鬼も畜生も存在しうるのです。

そしてその三悪道にいると気がついても、そこから救われる仏の世界もまた三悪道の中に内包しているというのが十界互具(じゅっかいごぐ)の教えです。


posted by 竜光 at 16:23 | お説教

2011年06月10日

輪廻について(6)

天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄

が六道と呼ばれる世界で、前世の業(行い)に従ってそれぞれの世界に死に変わり生まれ変わるというのが輪廻の世界です。

天界の住民は大変な長寿で、自在に空を飛び、快楽に満ちた世界とされます。寿命は最低でも九百万年だとか。(あんまりうらやましくないです)

しかし、天界もまた輪廻の世界であり、苦しみの世界とされます。

なぜか

天人もいつか死ぬからです。

天人が死ぬ前には天人五衰(てんにんごすい)といって五つの兆しが現れます。

1.衣服が垢で油染みる
2.頭上の華鬘が萎える
3.体が薄汚れて臭くなる
4.脇の下から汗が流れ出る
5.自分の席に戻るのを嫌がる

そろそろ加齢臭の出てきた私としては、この程度でいったい何が問題なのかと思いますが、天人にとってはこれは死の前兆なわけです。

この天界での死の恐怖の苦しみは地獄の苦しみの16倍といいます。(いちいち数字が出てくるのはインドっぽいですね)

天界は私たちの周りではビルゲイツやらアラブの大富豪やらイギリスの王族や日本の皇室の人々といったところでしょうか?

彼らの苦しみは持っている財産や名誉を失い、死ぬことだけではありません。

彼らは力が強大で広範囲であるゆえに、失敗やちょっとしたことが大きな影響を周りに与える。私たちが歩きながら知らずに蟻を踏みつぶすようなものです。例えば、総理大臣の失敗の影響はまことに大きく、普通の人よりも大きな悪業をつくりやすいと言えます。

また、恵まれすぎているということは謙虚さを失うことでもあります。

今日、八千円のランチを食べ、自分専用の高級外車を乗りまわす田園調布のマダム達がテレビに出ていましたが、あれほどに恵まれていれば、弱い立場の人に対する共感も薄いでしょうし、苦しいゆえに神仏を頼むという気持ちも起きないでしょう。

おのれの苦しみに向かい、それを乗り越える過程において神仏に頼むということがない、これは、仏教との接点がとても薄いことを意味します。

ここはとても重要です。

苦しみをのりこえるには宗教は唯一の解決策ではないと感じるひとも多いでしょう。
哲学や自助努力こそが重要だと思うひとも多いと思います。

仏教の立場からすると自力ですべてを解決しようとするのは傲慢なことです。
かといってすべてを神仏に預けてしまう絶対他力も実は大変に厳しい道です。

すべてをお任せするということは、あらゆる現実をありのままに受け入れるということです。どんなにお金がなくても、病気でも、孤独でもそれはそれで安心できるという境地には誰でもなれるものではありますまい。

ですから現世利益というものを私たちは大切にします。

現世利益は私たち衆生が神仏の世界に結びつく非常に大切で貴重なきっかけです。

現世利益をまったく必要としない天界の人々はもっとも仏教の教えから遠いと言えます。
このことこそが天界が苦しみの世界であることのもっとも大きな理由といえましょう。

こう書いていくと、私たちの周りにいる一見とても恵まれている人たちのことをそんなにうらやましく思わなくなってきませんか?

苦しみがあるからこそ救われる。なかなか納得するのは難しいですね。

この納得ができれば悟ったということだと思います。

posted by 竜光 at 00:25 | お説教

2011年06月05日

輪廻について(5)

師匠が、師匠の師匠(大先生(おおせんせい)と私たちはお呼びします)とかつてこういう話をした、ということを伺いました。



大先生:君は死んだら次はどこに生まれるのかい?

師匠 :極楽に生まれたいです。

大先生:地獄に行くかもしれないよ

師匠 :先生、修業をしても地獄に行くのかもしれないのですか?

大先生:地獄に落ちるのと行くのとは違うのだよ
    そこに助けを必要とする者がいれば、地獄でも、餓鬼界でもどこにでも行くのが菩薩というものだ



このような会話だそうです。

行くというのはその世界に生まれるということで、ときどき立ち寄るというものではないと思います。
私たちは修業した結果、地獄や餓鬼に生まれ変わるということがあるというのです。

いま、地獄にいる人たちの中にはそういう菩薩がいるのかもしれません。

東北の現地の情報は実は私たちのところに正確に届いていないという話を聞きました。
腐敗臭がひどい、ウジがわいてまるで小山のようである、という話を聞きました

御遺体の指が切り取られているものがあるといいます。
指輪を窃盗する輩がいるというのです。

強姦や窃盗団が実は跋扈しているという話も聞きます。

まさに鬼、夜叉がいる世界です。

いっぽうで多くの人がそこでボランティアで働いていらっしゃいます。
そこに多くの菩薩がいると信じたい。

私たちは難しい話の前に、まずは現実に対処する必要があります。
それを現世利益と申します。

しかし、いくら手を伸ばしても助からない現実もある。
そこで初めて仏法を説く必要とタイミングがあるのだと思います。

posted by 竜光 at 23:27 | お説教