2011年02月18日

輪廻について(2)

輪廻とは死んでまたなにかに生まれ変わり、それを繰り返していく、そういう思想です

お釈迦様は来世のことを尋ねられて、何も語らなかったといいます。

これをもってお釈迦様は輪廻を否定したという仏教者がいるようです。

しかし、仏教が悟りを目指す以上、輪廻がないととても困ったことになります。

人生が今の人生(これを今世、現世といいます)一回きりであるなら、今世中に悟らなければお終いです。ほとんどの人は悟りなんて得られませんからなんとも救いのないことになる。

生まれ変わり死に変わりして、すこしでも悟りに近づくということがなければ希望がありません。

そもそも輪廻から外れることが解脱、悟りというものではないのでしょうか?

輪廻が非科学的であること、実証不可能であることを根拠に、それを単純に否定することは、宗教についてなにか勘違いをしているように思えます。

死んだら何に生まれ変わるか。

人間とは限りません。

仏教はそれを六つのパタンに分けます。

1.天
2.人
3.阿修羅
4.畜生
5.餓鬼
8.地獄

人であることは六つのパタンの一つに過ぎません。

つづき・・・

posted by 竜光 at 22:35 | お説教

信頼と価値観

信頼できるとはどういうことか。

望まれている行為の予測が的中する可能性が高いという考え方があります。

なんだか、難しい言い回しですが、こんな時にはきっとこうしてくれる、という予測があり、それがちゃんと実行されるということです。例えば、

バレンタインにはちゃんとチョコをくれる。
誕生日は覚えていてくれる。
傷ついているときは慰めてくれる。
親身に相談に乗ってくれる。
トイレのふたは使用後ちゃんとしめる。
使ったものはちゃんと元に戻す。
食事の準備はちゃんとなされている。

こういった様々なレベルの期待があって、それをちゃんと実行してくれる度合いが高いと、その人は信頼できるということになります。

逆もあって、こんな時は「なになに」しない。というパタン。

お金が無造作に転がっていても盗んだりしない。
いらいらしても暴力を振るったりしない。
ゴミを車の窓から捨てたりしない。
たばこを喫煙室以外で吸わない。
うそをつかない。

等々です。

この、こういうときは「なになに」してほしい、こういうときでも「なになに」しないでほしい、この思考パタンが価値観とする考えです。

だから人はまず、価値観が似ているほうがうまくいくわけです。
価値観が似ていてもちゃんとそれを実行するかどうかはまた別ですが、こういうときはこうするもんだ、という認識が一致していればトラブルが起こっても、原因が探りやすい。

たいていの価値観は当人にとって暗黙のものです。そんなこと当然でしょ、説明するまでもないよね、だけでなく、実際は意識されていないことが多い。

人間関係で齟齬がでるのは価値観の相違によるとはこういうことだと思います。

人間関係がうまくいかないときは、不満を「何を望んでいるのにしてくれかったか」、「何をして欲しくなかったのに何をされたか」、という問いに置き換えて、それを人に説明できるようになれば、それは単に愚痴にはならないのかも知れません。

相手が急に怒り出したり冷たくなったりしたとき、私たちは思わず、なにか悪いことをしただろうかと自問します。

しかし、占いで相談に乗っていると思うのは、「こんなことをしてくれなかった」が多いですよね。

原因を作った側はよくわからないことが多いです。
何かをした失敗より、しなかった失敗は、そもそも、その状況で何かをするべきであったという価値観を持っていないことが多いため、意識できないことが多いからです。

価値観は特に高尚なものではなく、してほしいこと、して欲しくないことのリストと考えると楽です。

そして、この立場から言うと、価値観はあまり特殊でないほうがよろしい。

私は特別の価値観を持っているという主張は、実はたいてい人間関係を複雑にします。だれもそれを予想できないから。

もっと言うと、して欲しいこと、して欲しくないことのリストが少ないほど、人間関係はうまくいくのではないでしょうか?

なになにでなければならないと言う主張が厳格で多いほど、付き合いづらい人ですよね。

本当に譲歩できないものは何かを持つことは、人として大事ですが、価値観は案外広い概念だと知っておくのも良いといます。


次回は、もうすこし価値観について考えてみたいと思います。



posted by 竜光 at 22:10 | お説教

2011年02月09日

輪廻について(1)

ご相談にのっていると、輪廻がとても重要になる場面がおおいです。

生まれてから一度も良いことがなかった。もうすぐ人生も終わる。このまま人生が苦しいままで終わるのはなんとも情けなく、つらい。

などといわれると、私も言葉につまることがあります。

人生が生まれてから死ぬまでの一回きりであるとすれば、それはとても恐ろしく苦しいことです。

考え方や認識の仕方を変えることで人生が変わることはありますが、目の前の借金やら、仕事がないことやら、自分の子供が風俗で働いているやら、そういう巨大な現実のまえに、「それはあなたの考え方が間違っている」とはなかなか言えません。

それは恐ろしく、つらい現実であるといういうことに、まずは共感しないではいられません。

しかし、人生は、実は前世から受け継ぎ、そして来世に持ち越していくものであるということが分かってくると、苦しみに意味がでることもあります。

輪廻とは、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界をめぐることです。

相談にいらっしゃる方に輪廻や六道のお話をしてもすぐには納得いただけないことが多いです。

しかし、こういう仏教話にすなおに反応できるかどうかが、その人が救われるかどうかの分岐点のような気もします。

そもそも、輪廻や六道の用語自体をご存じない方もおおくいらっしゃいます。
すこし解説していこうと思います。

つづき・・


posted by 竜光 at 15:47 | お説教