2011年01月31日

薬師如来

薬師如来は十二の誓願をたてられましたが、特に第七願が有名です。
私たちの病気を治してくださる仏様です。
親しみをこめて「お薬師様」とお呼びすることが多いです。
お薬師様を阿弥陀如来や、釈迦如来のお像と区別するのは左手にお持ちの薬壺です。
薬壺は「やくこ」と発音することが多いようです。何かを手にもっていらっしゃる位の高い仏さま(如来)はお薬師さまだけだとおもいます。ですから簡単に薬師如来の像は他の如来像と区別が付きます(実は古いお像は薬壺をもっていらっしゃらない場合も多いようですが・・)

お薬師様はそのお名前のとおり病気を治してくださる仏様ですが、実は病気は体のことだけではありません。お薬師様にとって人生の苦しみはすべて病いです。十二上願を丁寧に読んでいただければお分かりだと思いますが、経済のことや食事、衣料のことまでお薬師様は気にかけてくださいます。

私が一番大事に感じているご請願は第五願であります。

第五願   具戒清浄
無数の人々が、修業中に邪まな情欲に身をゆだねず清らかな修行をするときには、すべての人々が戒を保つようにしよう。
例え戒を冒すようなことになっても、我が名を聞くなら、清らかな世界に戻り、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣の世界に堕落することのないようにしよう。

戒はいろいろありますが、私たちが僧侶として守るべき戒は以下の十善戒とよばれるものです。

不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 盗まない。
不邪淫(ふじゃいん) みだらな性的関係を持たない。
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 言葉を必要以上に飾らない。
不悪口(ふあっく) 悪口を言わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌をつかわない。
不慳貪(ふけんどん) 欲張らない。
不瞋恚(ふしんに) 怒らない。
不邪見(ふじゃけん) (因果、業報、輪廻等を否定する)間違った見解を持ちません。

とくに僧侶だけが守るべきものには見えないでしょう。普通の道徳をわきまえているものなら当然守ってしかるべき徳目ばかりです。
上願寺でも信者さんにはこの十善戒を毎日お唱えするようにお勧めしています。

戒は授かる(さずかる)ものです。
戒を授かることが僧侶になることだと言っても過言ではありません。
戒を正式に授けるために鑑真和上は多くの苦難の末に来日され、比叡山が戒を授けるための道場を(大乗戒壇)を設立するために伝教大師最澄は亡くなるまで大変な努力をされたのです。(朝廷よりの「戒壇院建立の勅許」が出たのは、亡くなって後七日目でした)

これだけ重要な戒ですが、内容は上記のような、ある意味常識的なものです。
実はこれらは単純に、守るべき目標のリストでもなく、違反したら罰則のある法律でもありません。

戒は授かるものです。この身に頂戴するものです。
戒を授かることによって不思議な力が働いて戒を守るように見えない力が働きだします。
この不思議の力こそ大乗戒の本質だと私は師匠から教わりました。

私も未熟な人間ですから小さな嘘をつくこともあれば、イライラして人をどなりつけることもあれば、みだらな気持ちもわいてきます。肉も魚もいただきますから不殺生戒を守っているとも言えません。しかし、戒を授かっていると不思議とそういう悪の誘惑から少しずつ遠ざかり、戒を守ることで安心に近づけるのだということも分かってきます。十善戒を完全に守りきれる人はおそらくいません。しかし、生き代わり死に代わりしていくうちに必ず仏様は、それを守る方向に私たちを導いてくださいます。欲望を解放するより、節制していくほうが楽に生きていけることに気付かされます。戒を守ることで私たちは楽に生きていけるようになるのです。

実は、このことが病気を治す本質のような気がします。
戒を破る生活を繰り返すことがすべての病気の源と私は考えています。
この私たちを導く力こそがお薬師様の「第五願 具戒清浄」であると思います。

ただし、戒を守りましょう、そうすればすべての病気は治ります、などと簡単に言えません。病気になれば医者にかかり薬を飲み手術を受けねばなりません。
お薬師様は医療を否定したりしません。
しかし、同時にその時こそ、お薬師様は実際に私たちに病気が治るという不思議を示してくださいます。
病気が治るというのはお薬師様の功徳の入口に過ぎないのかもしれません。あくまでも第一のご請願である私たちが仏になることを導くことが大切なのでしょう。そのための戒でもあります。

人はいつかは必ず亡くなります。病気にかからない人もいません。ご祈祷をするから必ず病気が治るとも実は言えません。
それでも少しでもお薬師様の不思議を信じて素直にすがれる人だけがお薬師様の威徳を受けることができます。

病気は体の病だけではありません。
人間関係の悩みもお金がないこともお薬師様にとっては病気なのです。



posted by 竜光 at 08:30 | 仏像

2011年01月30日

薬師の十二上願

薬師如来は以下のような12のご請願を立てています。
ご請願とは、菩薩が仏になるときに衆生を救うために誓った約束事です。
薬師如来本願経というお経に説かれています。

薬師如来のこのご請願を特に薬師の十二上願と呼びます。
当寺院の名前はここからとらせていただいています。


第一願   光明普照
私から発する光で普く世界を照らし、すべての人々を尊い仏と同じ姿にならしめよう。

第二願   随意成弁
その身は瑠璃(ラピスラズリ)の如く、身心は優れ、清く穢れなく、うるわしく飾られ、人々を愚かさの暗闇から解放し、心のおもむくままに物事を成就できるように導こう。

第三願   施無尽仏
無限の智慧と方便を以て、すべての人々に必要なものを欠けることなく、尽きることなく得さしめよう。

第四願   安立大乗
よこしまな道を歩むものがいれば悟りの道に導き、声聴、独覚などの小乗のものには皆大乗の教えをもって安心立命させよう。

第五願   具戒清浄
無数の人々が、修業中に邪まな情欲に身をゆだねず清らかな修行をするときには、すべての人々が戒を保つようにしよう。例え戒を冒すようなことになっても、我が名を聞くなら、清らかな世界に戻り、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣の世界に堕落することのないようにしよう。

第六願   諸根具足
もし人々が生まれながら眼・耳・鼻・舌・身に障害があり、もろもろの不治・難病の苦しみがあっても、我が名前を聞くなら、病はことごとく取り除かれ、生活の糧を得、身心の安楽を得て無上の悟りを得るようにしよう。

第七願   除病安楽
人々が種々の病気に苦しめられ、救いなく、頼れるところなく、医者がなく、薬なく、親なく、家なく、貧乏にして苦しみが多いとき、我が名を聞くなら、病はことごとく取り除かれ、生活の糧を得、身心の安楽を得て無上の悟りを得るようにしよう。

第八願   転女得仏
女性が女の百の悪に苦しめられるが為に、極めて穢れを嫌って離れたいという思いが生じ、女の身を捨てたいと願って、我が前を聞くなら、一切皆、女が転じて男となり、丈夫な体が具わり、最高の悟りを得られる。

第九願   安立正見
人々を悪魔の仕掛ける罠から救い出し、あらゆる外道の煩悩の束縛から解き放とう。さまざまな道理に暗い邪な欲望の林に堕ちたもののその手を取り、正しい物の見方に導き、菩薩行を修せしめ、速やかに最高の悟りを得られるようにしよう

第十願   苦悩解脱
人々が誤った国法により捕えられ、鞭打たれ、幽閉され、刑罰を受け、あらゆる災難にさらされ辱められても、我が名を聞くなら、偉大なる神通力(福徳威神力)をもって一切の苦しみから救おう。

第十一願  飲食安楽
人々が飢えに苦しみ、そのために悪行をなすとも、私の名を聞き、一心にそれを念ずるなら、まず素晴らしい食事を与え、そのあとに、仏法の深い味わいをもって究極の安楽を得さしめよう

第十二願  美衣満足
人々が、貧しくして衣服無く,寒さ、暑さ、蚊やあぶに悩まされ、昼夜問わず苦しんでいるなら、我が名を聞き、一心にそれを念ずるならば,その人々の望む素晴らしい衣服を得て、宝飾や香水までその望むところのものを与えて満足させよう。



posted by 竜光 at 12:32 | 仏像